化学科の歴史

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化学科の歴史

東工大化学科の沿革と歴史

1881(明治14)年5月26日、東京工業大学の前身である東京職工学校が設立された。明治初期の工業教育を担ったのは、東京職工学校と工部大学校(東京大学工学部の前身)の2校だけであった。東京職工学校は、製造現場および工業に関する産業育成の指導者養成を目的として、化学工芸科および機械工芸科の2科で発足し、東京市浅草区蔵前の地に校舎を構えた。その後、東京工業学校(明治23年)を経て、東京高等工業学校(明治34年)へと発展していく。「煙突のあるところ蔵前(人)あり」と言われるほど豊富な人材を世に生み出し、1923(大正12)年に関東大震災ですべてを焼失するまで蔵前の地は工業教育の発展のめざましい活動の舞台となった。

化学科の母体である化学教室が最初に置かれたのは、1929(昭和4)年4月1日に本学が東京工業大学へ昇格した時にまでさかのぼる。この頃、大岡山キャンパスへの移転が既に完了していた。工学部の8学科と一緒に理学系の4教室(物理化学、分析化学、数学及び物理学)が設置された。その後、無機化学教室と有機化学教室が設置され、化学教育を重視する本学の姿勢を垣間見ることができる。当初、田丸節郎教授(物理化学)、永海佐一郎教授(分析化学)、植村琢助教授(無機化学)、星野敏雄助教授(有機化学)らの教官により各分野の担当が確立し、この4教室で化学科の原型となる教育体制が誕生した。

1949(昭和24)年5月に学制改革による新大学教育体制としてコース制がスタートしたのを受け、本学には10コースが置かれた。化学コースもその1つとして誕生し、その中に5つの講座が設けられた。植村琢教授(化学第一講座:無機化学)、岩崎岩次教授(同第二講座:分析化学)、星野敏雄教授(同第三講座:有機化学)、太田正樹助教授(同第四講座:有機化学)、高宮篤助教授(同第五講座:生物化学)が各分野を担当した。その後1951(昭和26)年より順次、安藤暹助教授(同第六講座:物理化学)、志田正二助教授(同第七講座:物理化学)、佐藤徹雄助教授(同有機化学講座:有機化学)、安盛岩雄教授(同無機物理化学講座:物理化学)らの教官により先導された講座を加え、1967(昭和42)年には化学科の9講座制が確立された。この体制は大学院重点化が実施された1998(平成10)年まで維持された。

1955(昭和30)年7月に工学部が理工学部に改称された。化学科の他に、数学、物理学、化学工学、機械工学、電気工学、金属工学、繊維工学、建築学及び経営工学の計10学科で構成された。さらに1967(昭和42)年6月に理工学部は理学部、工学部に分離され、理学部は化学科の他に、数学、物理学、応用物理学の計4学科となった。また、1987(昭和62)年4月に本学に生命理工学部が第3の学部として新設されたが、その際、化学科の講座を一つ化学科から分離することで、生命理工学部(生体機構学と生体分子工学の2学科)の新設に貢献した。

1998(平成10)年理学系の大学院重点化が実施され、大学運営の重点が学部組織から大学院組織に移行した。その際、理学部化学の教官は大学院理工学研究科の化学専攻と物質科学専攻のどちらかに所属することとなったが、学部化学科の教育は従来通り互いに協力して行うこととした。

化学科と密接に関連する学内共同研究教育施設等には、火山流体研究センター、炭素循環エネルギー研究センター、総合管理安全センター等がある。

また、化学科を卒業した学生のための同窓会組織「東工大理化会」が2012(平成24)年に発足した。理学部化学科の卒業生、大学院理工学研究科の化学専攻と物質科学専攻(理系)の卒業生で構成される。情報ネットワークを通じて会員の意見を集約・共有しながら、同窓会としての連帯感と活力を高めることを目的としており、大勢の参加が期待される。

参考文献
「東京工業大学100年史」編集者:小林・栗野・石原・石本・江頭・岸・坂元・鈴木・関根・田中・永井・高野・平井・松田・室田・森・安盛・渡辺・遠藤・岡崎・本庄・斎藤・大谷内、東京工業大学(1985年)

「東京工業大学130年史」編集者:小尾・道家・中濱・広瀬、東京工業大学(2011年)
「東工大理化会ホームページ」http://www.chem.titech.ac.jp/~chem_alumni/